年末年始の計画を立てている。
どういうことがきっかけだったかはもう覚えていないが、私達夫婦は年末年始を見知らぬ街で過ごすことになっている。
ざっくりと、休みがいつからいつまでなのか確認し、今まで訪れたことのない都道府県エリアを決め、行きたいところがあれば目星をつけておき、期間内にどのように回るかを設定する。
ルールとしては飛行機は怖い、船は嫌、タクシー・バスは微妙ということで、移動は鉄路に限られる。
観光場所での滞在時間と移動時間、到着時間や出発時間をスケジュールし、滞在先のホテルを予約し、きっぷを予め買っておく。
ここまで書いておくと用意周到のように思えるが、旅程の後半あたりはフリーになっていて決まっていない事が多い。ホテルも押さえなかったり、きっぷも買っていなかったりする。
世の中的には、旦那が、長期旅行で、ホテルを押さえてないとか、信じらんないといったところだろう。
しかしながら実際に押さえていない。
インターネットサービスの利用がインフラとして機能する昨今では片手に収まるコンピューターで宿の予約はすぐ取れるからだ。
信じられないかもしれないがそういう時代になったのである。なってしまっているのだから仕方ない。
だが、そういう時代だから、時代がそれを許すからやっているのか、といえばそうでもない。
夫婦というのは例え知らない者同士であっても長年付き添えば相手がどういう人間であるかは分かってくるものだ。
そして私が分かったことは、妻は、言うならば「つまらない映画は途中退席して構わない」と考えるタイプであることだ。旅行でどこどこへ行きたいというので実際に行くと、もう満足したので良い。と言い出す事がある。
満足したなら良いことであるし、限界効用が逓減するくらいならもう移動したほうがいいと思っている。
ポテトチップスを無性に食べたくなるときがある。しかし食べ過ぎると口内炎が出来るし完食で腹が膨れて食事が出来なくなるから、ほどほどを超えると食べれば食べるほど辛くなる。
サイズが大きければどこまでも比例して幸せかといえばそうでもない。それと同じなのだ。
旅も後半になれば疲労も溜まる。計画の実施がすべてだというのなら、思い描いていたような旅程を消化できないか、不満のある消化試合を続けることになるかしかない。
一体、なんのための二人の旅行か。
しかし、目的と手段は入れ替わりがちなように、人によってはピンとこないし、お互い合意したはずがまたスタート時点のお互いの主張に戻って無かったことになっていることもある。
旅行は会社の事業ではないし、マイルストーンを達成していってどうというものでもない。それは分かっていると誰もが言うだろう。しかし、世の中には計画通りに行かないとイライラして不満をぶつける人もいると聞く。聞くというか、私の父親はそうだった。思い出の全ては台無しであり、そんな事もあったなと笑って酒を飲み交わす機会は一切ない。
それは夫婦・家族ではなく会社の人間関係そのものだろう。
お互いの考え方が一致しているというのは、生きていくなかで幸せなことの一つなのかもしれない。