令和のGW

元号は変わり、今年のGW10連休となった。

10連休とは言っても、人混みを嫌う夫婦には旅行という選択肢はなく、ただ休日が10回ある状態である。

妻は知人と出かける用事を毎日入れていて、私の方はエンジニアらしく何か新しい技術を学ぼうかとぼんやりと考えてはいたが、いざ始まってみると結局は仕事が差し込まれてしまい、それでは普段と何も変わらないではないかと二日目には落胆してしまった。

それでも、日々蓄積され疲弊した精神の不調を”デバッグ”すべく、厚生省のホームページから患者用と題されたPDFを落としては大きなモニターに映し出してぼんやりと眺めて日中を過ごすことができたのは、10連休という明日明後日に出勤しなくても良いという余裕がなければ出来なかったことかもしれない。

 

いつも窮地に立たされる自分を救うのは、眠くなるようなつまらない活字の情報である。厳しい感情のどん底に落ちたとき、この状況はこう認識しているからであり脳内では云々、つまらないことを考えていると、つらいことがつまらないことと混同して、眠くなり、寝てしまうことでやり過ごしてきた。

 

そんな休日も残り3日となり、家に引きこもってばかりではもったいないと考えるようになってきた。

それは夫婦の間で共通の課題として認識されるようになり、ある日、妻が池袋で用事があると言うので、それならばその用が終わった夕方から秩父へ行こうということになった。

 

池袋からは西武が特急を走らせている。

おなじみのレッドアロー号であるが、ここにきて世代交代となりLaviewという新型に置き換わりつつあった。

そのLaviewというのに私は乗ったことが無く、また車内もキレイであるからそこは妻も喜ぶだろうと考えこれに乗ることにした。

 

事前に経路検索をしてみると、秩父まで行くとそのまま折り返して池袋に戻るか、秩父鉄道で熊谷まで出てそこからJRで都内へ帰るかになる。そして両者とも帰宅時間は相当遅くなることがわかった。

そこで、飯能まで特急で行き、そこから東飯能まで進み、JRに乗って八王子まで出て特急に乗るルートを採ることにした。

 

当日、ジムへ行って汗を流したあと、支度をして池袋へ向かった。着いてすぐに西武の窓口へ行き、夕方のLaview特急券を手配してもらった。横並びの座席は一つしか空いておらず、間一髪だ。

その後はやることがないので西武の屋上へ行き、かるかやのうどんを食べ、そして妻と合流したあとやはりやることがないので西武の屋上へ行き、かるやかのうどんの二杯目を食べた。

 

 

しばらく時間を潰して特急の乗り場へ向かうと、以前はあった特急券の自動改札機は無くなっていて、誰でも自由に入れるようになっていた。

温かい紙コップのコーヒーを買おうと探していたが、ホームには無かったので、改札だった入り口から出て向かいのコーヒーでテイクアウトして再びホームに戻った。

 

列車の到着が近くなると、人もだんだんと増えてくる。

気づけば目の前に小さな男の子を二人連れたお母さんが立っていた。子供はとても興奮していて、控えめに言って騒がしかった。私の目の前をウロウロしてしばらくすると、「号車入り口」の列に陣取った。そこは、私達の乗る車両と同じだった。

かつてこの西武線を利用して通勤していた頃、特急といえば残業の疲労で体の具合が悪くなったときに乗るものだったから、この騒がしい子供が同じ車両に居合わせるのかと思うと、何故かかつての利用シーンが結合して憂鬱になった。10連休だから残業などしていないのに。

 

列車がホームに入線してくる。子供はとても騒いでいた。そうだろう、おじさんも興奮している、私の分まで喜んでほしい、お母さん、早く写真撮ってあげてLaviewもう来ちゃうと心の中で呟いた。

Laviewが到着して、たくさんの人が降りていって、誰もいなくなった車内で椅子が自動で回転している。

グルっと飯能方面にすべての椅子が向くと、座席の一つだけ、頭を預けるヘッドレストが無くなっている。

 

乗務員が車両を行き来し、清掃員が車両を行き来している。妻はまだ乗れないのかと訊いてきた。忘れていたのだが、西武の特急は発車直前まで乗れなかったことを今更思い出した。

「急いで来なくても良かったのに」

そう妻がつぶやくと、間もなく車両のドアが開いて搭乗が始まった。ヘッドレストは無くなったままだった。

 

Laviewの車内は椅子も壁も黄色に統一されていて、まるで華僑の成金が「風水のおかげでここまでになれた」と案内してくれそうなくらい明るい雰囲気だった。

あの疲れて具合が悪くなったときだけ乗る灰色で冷たい病院の照明みたいな蛍光灯が灯る車両とはまるで違うものだった。

 

座席に腰掛け、背もたれを倒したりテーブルを出してみたりコンセントを探してみたりするうち列車は走り始めた。

列車は地上をややゆっくりした速さで各停しか止まらない駅を通過し、やがて複々線区間に入る。

 

速度を上げてもモーターの音は唸らず、静かなままなことに驚いた。

雨が車体や窓に当たる音が聞こえて来るのだが、さぞ豪雨なのだろうと窓の外を見ても、ちょっとした通り雨くらいしか降っていないという具合である。

 

かつて西武の特急レッドアローは、山岳に対応するような高性能な通勤電車と同じ足回りを使っていて、おまけに通路には台車メンテナンス用のハッチがあった。そこからモーターや車輪の音が筒抜けになるのである。それが90年代になると新しいレッドアローが登場することになるのだが、車体が灰色で冷たくなっただけで、台車は何も変わらなかった(本当に再利用だった)。ただ疲れて具合が悪いときに着座するためだけの特急であり、笑顔で楽しく秩父へ旅行しようなどという気分には到底なれないネズミ色の特急だった。

 

それが今、明るい車内ではカーペットが敷かれていて、雨が当たる音が大きく感じられるほど、静かに走っている。

おまけに池袋の駅のホームで騒いでいた小さい子供の声もしない。あまりに静かな車内の雰囲気に圧倒されたのか、大人しくなってしまったらしい。

 

騒音が大きければ話し声も大きくなるし、ヘッドホンの音量も大きくなるし、弁当や菓子の入った袋もガサガサさせる。騒がしい工場を思い浮かべると容易く想像できる。「おーい!おーい!!スパナァー、スパナ持ってこーい!!」

それが、あまりに静かな車内では喋る声すら目立ってしまうためか、皆、音が大きくならないようにしているようであった。座席の後ろに座っている小さな子どもを連れたお父さんも、声を抑えて子供に喋りかけていた。

 

大人も子供も、静かな環境に飲み込まれていることは、私の想像上の結論ではないと思われる。

なぜなら途中駅で停車した際、後ろにいた子供は本来の声量でダダを捏ねたまま、親に連れられて下車していたからだ。

わかる、私だってすぐには降りたくない。秩父までチケットを取っておくべきだったと後悔していたのだ。

 

現代では、"生きづらい人"が些細なことに敏感になっているかのように語られるが、技術の進歩によって騒音が無くなってきているという側面もあるのではないだろうか。

技術が進みきって一切のノイズがない澄み切った環境が出来上がったとき、私達は生物としてどのような顛末を迎えるのだろうか。

 

飯能へ着いてしまった。

 

外へ出ると都心とは明らかに違って肌寒い。

ここから秩父行きの各駅停車に乗り換えて、一駅先の東飯能で降りた。

八高線の出発時刻まで時間があるので、券売機で八王子からの特急券を買い、ここで待つのも肌寒いというので丸広にある丸善の書店へ向かった。

休日の夕方にしてはフロアが閑散としすぎており、商売が成り立っているのかわからないくらいだ。だが何年か前にきたときも同じようなことを思った気がしたので、きっと成り立っているんだろう。

 

こうぺんちゃんの絵本があるというのでしばらくそこで過ごしていると、時計は出発の2分前だった。気付けてえらい。エレベーターで降りてどうにか八王子行きの列車には間に合った。

りんかい線のお下がり車両に乗って、峠を超え、茶畑と、米軍基地を横切り、そして陽はすっかり沈んで外は真っ暗になった。

単線なので途中駅で停車し、そのたびに総武線のお下がり車両が向かいのホームで待っている。

 

八王子からは新しくないほうの特急車両に乗り込んだ。席に座ってすぐにlaviewに乗って食べるはずだった2割引の柿の葉寿司を開封する。あまりの静けさに圧倒されて飲食出来なかったのだ。

柿の葉は6つのブロックに分かれ、3種類の具が入っている。一つ一つ端から取って食べていくと、オレンジ色の鮭、白の鯛、最後はオレンジと白のエビが入ってた。

どれが美味しかったか。鮭も美味しかった、エビも美味しかった、鯛は満場一致で最下位だった。エビサケタイと話すと、次回からはエビの入ってないものを選ぶと言う。句読点を入れ直して、エビ、鮭、鯛の順だと言い直した。すると、自分はエビ、鮭、じゃがりこ、鯛の順だと言う。それならば、エビ、鮭、じゃがりこ、ワッフル、鯛の順だと言った。とうとう、エビ、鮭、じゃがりこ、ワッフル、ドデカミン、鯛の順だとなった。こうして鯛の価値は暴落した。

 

特急は終着駅に到着し、GWの小さな旅は終わった。

 

駅を降りてすぐのバーガーキングに立ち寄り、チキンナゲットとアップルパイ、コーヒーを2つ注文した。

来るのが遅かったのか、アップルパイは10分掛かるという。席に座ってチキンナゲットを分け合い、コーヒーを飲み、調理したての熱いアップルパイを一人で頬張ったことを咎められ、またバーガーキングに来ることを約束した。