育児とスピリチュアル入門

おじさんにも子供ができた。珍しいことだと言える。

そして育児をしていて気づいたことがあるので以下に記す。

 

出生間もない頃は消えそうなほどか弱い(と見えるときもある)

もぞもぞと動いているので覗きに行くと、ふがふがと声にならないような呼吸をしていることがある。全くしっかりしておらず、何もしなければ死んでしまうから世話をしなければならないという気持ちになる。

そもそも街で見る赤ちゃんはそこそこの月齢に達しているから、他人は出生間もない赤ちゃんなど見る機会はない。ペットショップで生まれたての猫がいないのと同じである。

 

2,3ヶ月までは笑わない

退院後しばらくは寝るか泣くかしかしない。見た目はサルのようだし、24時間のうち3時間おきに泣くし、ミルクは吐くし、うんこもする。いくらお世話をしてもありがとうの一言もない。駄目とわかっているけど父母ともぶっ叩きたくなる感情が湧くのはこの時期だろう。

ネットでお気持ちを表明しているのはこの時期の方達かもしれない。

 

何よりスピリチュアルの入り口になる

親はとにかく意思疎通のできない子供のためになんでもやる。

泣いていれば何が原因か突き止めようとする。それがわからなければ色々なことを試して泣き止むパターンを見つけようとする。

泣き止みの「勝ち筋」を見出したとき、そこに科学的態度を持ち込むことは難しい。なぜならこれはN=1の事象であり、同一条件下での有意差の測定などしている暇などないためだ。

本を見ればあれがイイこれがイイと書いてあるが、うちの子には効かないというのが育児である。うちの子に効くまじないは何か?ビニール袋のガサガサなのか、ホワイトノイズなのか、反町隆史のPOISONなのか、この子にしか効かない魔法というのをとにかく見つけることが大切であり、専門家の言うことなど我が子が泣き止まなければ無価値である。

 

たまたま奇跡が起こるかもしれない。しかし裏付けがない。ただ一度成功体験があると何度も繰り返してしまうものである。

子供の成長は驚くほど早い。1,3,6ヶ月でミルクを飲む量も服のサイズも使うおもちゃも変わるし、泣いているだけと思えば笑いだしたり、怒ったり、あっという間にできないことができるようになって変わっていく。そこにエビデンスを求めても過去の話であり今泣いている子供をあやすことに対しては価値が無いのである。

 

ある程度、この時期の子供はこうだという情報はまとまっている。だがうちの子はこうだという情報がない。そしてうちの子は当てはまらないということが頻繁に起こる。それに対する不安もある。そういうわけで、なんの脈絡もなくなんの根拠もなく、未検証の事象を指してこれがいい(らしい)としてしまう。この文章をみて分かる通り七面倒臭い理屈バカにも関わらず非科学的なことを信じて縋ってしまうのである。

 

効率重視なら生きなければいい

世界はシンギュラリティが間近だというのに、人間の赤ん坊ときたら未だにこれなのである。世の中はどんどん累積的に進化しているのに、人間はせいぜい80年程度生きては死に、生まれ、死ぬ。正しさと効率だけを求めれば人類は消えたほうがいいはずであるが、時折見せる子供の笑顔を見ると、そんなことを考えるのに時間を使うのはもったいないとも思える。人も動物も花もいつかは消える生きるものすべてが愛おしく感じるのはこういうことなのかもしれない。

きっと、インターネットに書き込んでない大多数の人間は幸せに暮らしているのだろう。それなら人類の幸福はインターネットに無いからAIが学習できるはずもない。AIに聞いても滅びるべきとしか言わないのも当然であろう。