鬱は甘えと加害者が言うのを生で初めて聞いた

どうせインターネットでイキリ倒したやつが使う表現だと思っていたのだが、本当に聞くとは思わなかった。

 

稀によくあることだが、おっさん管理職が部下の女性に責任を負わせたパターンだった。

引き継ぎで加害者自ら白状した。甘えがあるからこんなことになっていて仕事で大変な目にあっているんだと饒舌に語っていて、こんなベラベラ喋るやつが本当にいるんだ、ネットの作り話じゃないんだと感動した。

 

とりあえずそれだけじゃなく色々終わっているからそれはいいとして、甘えで済む問題なのかということはネットの海に流しておきたい。

 

若手の女性である。結婚するかもしれない、妊娠するかもしれない、子供を生むかもしれない。実際のところそんなのは他人がとやかくいうことではないが、かもしれないものではある。

 

症状が悪化したらどうなるだろう。だって甘えだと言って追撃するのだからのそ可能性も大いにあるだろう。

 

仮に治療を受けるとして処方される薬には色々あるが、催奇性のある薬もある。もちろんリスクの少ないものがまず選ばれるだろうし、場合により治療が中断するかもしれない。中断するなら再発はするだろうが育児はどうなるだろうか。

 

あくまで仮の話ではある。しかし、容易に想像がつく話でもある。

しかしそうであれば純粋に他所様の人生をブッ壊すことになる。生まれる子供も、その配偶者も、家庭も、親戚も、その全員の将来をブッ壊すことになる。いやいやあいつに相手なんていませんよだの言うのなら、相手に会わす機会も奪っていることにもなる。

甘えているからぶっ壊しましたで済む話ではないはずだが、それが許されるというのは単純に肩書の勘違いではないか。「こんなことを言い放つ私を信じてください」と言っているバカを信じる奴がどこにいるというのだろうか。

私は今月からこいつの尻拭いをすることになっている。尻拭いがうまく行けば反省もせずまた別の場所で若手を潰すだろう。頭痛が痛い。

育児とスピリチュアル入門

おじさんにも子供ができた。珍しいことだと言える。

そして育児をしていて気づいたことがあるので以下に記す。

 

出生間もない頃は消えそうなほどか弱い(と見えるときもある)

もぞもぞと動いているので覗きに行くと、ふがふがと声にならないような呼吸をしていることがある。全くしっかりしておらず、何もしなければ死んでしまうから世話をしなければならないという気持ちになる。

そもそも街で見る赤ちゃんはそこそこの月齢に達しているから、他人は出生間もない赤ちゃんなど見る機会はない。ペットショップで生まれたての猫がいないのと同じである。

 

2,3ヶ月までは笑わない

退院後しばらくは寝るか泣くかしかしない。見た目はサルのようだし、24時間のうち3時間おきに泣くし、ミルクは吐くし、うんこもする。いくらお世話をしてもありがとうの一言もない。駄目とわかっているけど父母ともぶっ叩きたくなる感情が湧くのはこの時期だろう。

ネットでお気持ちを表明しているのはこの時期の方達かもしれない。

 

何よりスピリチュアルの入り口になる

親はとにかく意思疎通のできない子供のためになんでもやる。

泣いていれば何が原因か突き止めようとする。それがわからなければ色々なことを試して泣き止むパターンを見つけようとする。

泣き止みの「勝ち筋」を見出したとき、そこに科学的態度を持ち込むことは難しい。なぜならこれはN=1の事象であり、同一条件下での有意差の測定などしている暇などないためだ。

本を見ればあれがイイこれがイイと書いてあるが、うちの子には効かないというのが育児である。うちの子に効くまじないは何か?ビニール袋のガサガサなのか、ホワイトノイズなのか、反町隆史のPOISONなのか、この子にしか効かない魔法というのをとにかく見つけることが大切であり、専門家の言うことなど我が子が泣き止まなければ無価値である。

 

たまたま奇跡が起こるかもしれない。しかし裏付けがない。ただ一度成功体験があると何度も繰り返してしまうものである。

子供の成長は驚くほど早い。1,3,6ヶ月でミルクを飲む量も服のサイズも使うおもちゃも変わるし、泣いているだけと思えば笑いだしたり、怒ったり、あっという間にできないことができるようになって変わっていく。そこにエビデンスを求めても過去の話であり今泣いている子供をあやすことに対しては価値が無いのである。

 

ある程度、この時期の子供はこうだという情報はまとまっている。だがうちの子はこうだという情報がない。そしてうちの子は当てはまらないということが頻繁に起こる。それに対する不安もある。そういうわけで、なんの脈絡もなくなんの根拠もなく、未検証の事象を指してこれがいい(らしい)としてしまう。この文章をみて分かる通り七面倒臭い理屈バカにも関わらず非科学的なことを信じて縋ってしまうのである。

 

効率重視なら生きなければいい

世界はシンギュラリティが間近だというのに、人間の赤ん坊ときたら未だにこれなのである。世の中はどんどん累積的に進化しているのに、人間はせいぜい80年程度生きては死に、生まれ、死ぬ。正しさと効率だけを求めれば人類は消えたほうがいいはずであるが、時折見せる子供の笑顔を見ると、そんなことを考えるのに時間を使うのはもったいないとも思える。人も動物も花もいつかは消える生きるものすべてが愛おしく感じるのはこういうことなのかもしれない。

きっと、インターネットに書き込んでない大多数の人間は幸せに暮らしているのだろう。それなら人類の幸福はインターネットに無いからAIが学習できるはずもない。AIに聞いても滅びるべきとしか言わないのも当然であろう。

鉄道グッズと妻の買い物

私は物を滅多に買わない。

 

昔は本は定期購読するし趣味はコレクション的に買い集めるしでよく買っていたが、なんの反動からか買わなくなった。

鉄道模型なんかも好きで持っていたが、社会人になるあたりで売って以来、欲しいなと思うことはあっても買うことがない。

具体的にどのように買わないかといえば、店先で良いなと思うものがあって足を止めるが、でもいらないと言って買わないでいる。

 

先日、たまたま立ち寄った鉄道グッズの店で同じようなことをしていたら、妻がいくつかを即買いしていた。なお妻は"鉄"分が少ないにも関わらずだ。

 

見ず知らずの女性なら女性は買い物が好き、というおじさんの話でも良いが、妻は日常で鉄道グッズを使えば同時に鉄道の好きな私が使うことになるからとこのような行動に出たのだろうことに気づいた。

 

学ぶことはおじさんになっても多い。またそれに触れられることはたいへん幸せなことである。

 

生き辛さと生き易さのルール

年末年始は、地方あるいは田舎をひたすら回る旅行となった。

行ったことの無い県、降りたことのない駅にチェックマークをつけるかのように移動して回った大移動の一週間であった。

 

旅行で気づいたことがある。

普段は首都圏にいるが、地方へ行くと強いタバコの臭いにすぐ気付く。

 

首都圏は分煙そして禁煙が進み、また電子タバコが普及したことによって酷い臭いや煙を吹きかけられる機会は、以前に比べてだいぶ減ってきた。

しかしそれは歩きタバコで過料を課されるくらいの地域での話。そうでない地域は駅も飲食店も街全体も、どこかしらかタバコ臭い。

「まだicosが流行ってないようだ」とよく話しながら街を歩き回っていた。

 

 

街には人は少ないが、ショッピングモールにはたくさんの人がいる。

n=1の観測範囲ではあるものの、毎日の通勤で訓練された都会の民とは違って思い思いに歩くものだから、規格の同じ通路幅でも大混雑したかのような歩き辛さを感じてしまう。

首都圏でも郊外にショッピングモールはあるが、都心へ通勤しているからか人の流れが出来る。地方にはそれが無いようだ。

 

タバコの件然り歩きやすさ然り、やっている自分は楽であるが他人にとってはそうとも言えない場面にいくつか出くわすことがあった。

 

そうした都会との大きな違い、それは多様性への配慮だ。

 

気を使いはやがてルールとなり秩序となる。そして最後は上澄みのキレイなものだけが残る。田舎には無い。特に交易が少ない地域はその傾向が滲み出ると感じた旅行だった。

 

多様性はカオスを生むと思っていたが、それは間違いのようだ。

多様性から配慮が生まれ、マナーとなり、ルールが決められ、悪いものとしたものには罰が設けられて結局はシンプルに統制される。

 

田舎にはそれがない。ここはおらん家だ、以上。なのである。

どこの誰だか知らねぇ奴がわざわざおらん家まで来てガタガタうるせぇこと言うんじゃねぇという、一旦冷静に考えると至極当たり前なスタンスであるにすぎない。

 

しかし家の中でさえ、たとえ遺伝子は同じでも別々の人格を持つ人間が集まればルールは必要だ。家主の言うことを聞いてればいい、それもルールである。

 

どのような単位でも、意識してもしなくても、何らかのルールの中で生きている。

そのルールから外れるということは生き辛いことであり、ルールに従ってさえいれば生き易いということでもある。

 

朝の品川駅で人が流れる方へ一緒に歩いていけば歩きやすいだろう。

強い家長制度の中では父親に従っていれば生きやすいだろう。

 

そうでないとしたら、抵抗はある。一人で反発して右側通行と左側通行が変わるなどルールが変わることはない。したがって、そこから出ていくしか無い。

 

出ていった先にもルールはある。

 

自分に合うルールを探しに旅立つか、そのルールに自分を合わせる旅に出るか、どちらも常に突き付けられる選択肢だ。

 

会社だってそうだろう。制度が、上司が、合わないなら転職するしか無い。

合わないものは合わない、辛いものは辛い。

 

心を殺して会社の犬になれる人もいるが、はっきり言ってあれは一つの才能だ。やりたくても出来ない人の方が圧倒的に多い。忍耐力や社交性の問題というよりかはその人は適正が合ったという結果論でしかない。

 

 

どんな人も受け入れられるような優しいルールはあるだろうか。

それは東京のような多様性の中で磨き上げられた上品な上澄みのレールに乗るか、オラはオラだと自分を軸にして生きていくか、結局のところどちらかを選ぶこととなり、両方を混ぜることはできない。TPOによってそれを切り替えていくのがスマートなやり方だろう。

 

 

平穏に生きていくにはルールが必要でありルールに従わなければ混沌としてしまう。

そのルールは様々であるから切り替えていかなくてはならない。

ルールがなければ混沌とする、ルールを混ぜれば発狂する。

あのルールとそのルールは違うのだから、過去の発言内容との整合性一致を求められても合わせる必要などはない。

生き辛さと生き易さはこうしてルール制御をして切り替えることならできる。旅行で地方に滞在しているのなら現地のルールに従い、旅行から帰ってくれば都会のルールに従うように。

計画のない夫婦の旅行

年末年始の計画を立てている。

 

どういうことがきっかけだったかはもう覚えていないが、私達夫婦は年末年始を見知らぬ街で過ごすことになっている。

 

ざっくりと、休みがいつからいつまでなのか確認し、今まで訪れたことのない都道府県エリアを決め、行きたいところがあれば目星をつけておき、期間内にどのように回るかを設定する。

 

ルールとしては飛行機は怖い、船は嫌、タクシー・バスは微妙ということで、移動は鉄路に限られる。

観光場所での滞在時間と移動時間、到着時間や出発時間をスケジュールし、滞在先のホテルを予約し、きっぷを予め買っておく。

 

ここまで書いておくと用意周到のように思えるが、旅程の後半あたりはフリーになっていて決まっていない事が多い。ホテルも押さえなかったり、きっぷも買っていなかったりする。

 

世の中的には、旦那が、長期旅行で、ホテルを押さえてないとか、信じらんないといったところだろう。

しかしながら実際に押さえていない。

インターネットサービスの利用がインフラとして機能する昨今では片手に収まるコンピューターで宿の予約はすぐ取れるからだ。

信じられないかもしれないがそういう時代になったのである。なってしまっているのだから仕方ない。

 

だが、そういう時代だから、時代がそれを許すからやっているのか、といえばそうでもない。

 

夫婦というのは例え知らない者同士であっても長年付き添えば相手がどういう人間であるかは分かってくるものだ。

そして私が分かったことは、妻は、言うならば「つまらない映画は途中退席して構わない」と考えるタイプであることだ。旅行でどこどこへ行きたいというので実際に行くと、もう満足したので良い。と言い出す事がある。

満足したなら良いことであるし、限界効用が逓減するくらいならもう移動したほうがいいと思っている。

 

ポテトチップスを無性に食べたくなるときがある。しかし食べ過ぎると口内炎が出来るし完食で腹が膨れて食事が出来なくなるから、ほどほどを超えると食べれば食べるほど辛くなる。

サイズが大きければどこまでも比例して幸せかといえばそうでもない。それと同じなのだ。

 

旅も後半になれば疲労も溜まる。計画の実施がすべてだというのなら、思い描いていたような旅程を消化できないか、不満のある消化試合を続けることになるかしかない。

 

 

一体、なんのための二人の旅行か。

 

しかし、目的と手段は入れ替わりがちなように、人によってはピンとこないし、お互い合意したはずがまたスタート時点のお互いの主張に戻って無かったことになっていることもある。

 

旅行は会社の事業ではないし、マイルストーンを達成していってどうというものでもない。それは分かっていると誰もが言うだろう。しかし、世の中には計画通りに行かないとイライラして不満をぶつける人もいると聞く。聞くというか、私の父親はそうだった。思い出の全ては台無しであり、そんな事もあったなと笑って酒を飲み交わす機会は一切ない。

それは夫婦・家族ではなく会社の人間関係そのものだろう。

 

お互いの考え方が一致しているというのは、生きていくなかで幸せなことの一つなのかもしれない。

 

令和のGW

元号は変わり、今年のGW10連休となった。

10連休とは言っても、人混みを嫌う夫婦には旅行という選択肢はなく、ただ休日が10回ある状態である。

妻は知人と出かける用事を毎日入れていて、私の方はエンジニアらしく何か新しい技術を学ぼうかとぼんやりと考えてはいたが、いざ始まってみると結局は仕事が差し込まれてしまい、それでは普段と何も変わらないではないかと二日目には落胆してしまった。

それでも、日々蓄積され疲弊した精神の不調を”デバッグ”すべく、厚生省のホームページから患者用と題されたPDFを落としては大きなモニターに映し出してぼんやりと眺めて日中を過ごすことができたのは、10連休という明日明後日に出勤しなくても良いという余裕がなければ出来なかったことかもしれない。

 

いつも窮地に立たされる自分を救うのは、眠くなるようなつまらない活字の情報である。厳しい感情のどん底に落ちたとき、この状況はこう認識しているからであり脳内では云々、つまらないことを考えていると、つらいことがつまらないことと混同して、眠くなり、寝てしまうことでやり過ごしてきた。

 

そんな休日も残り3日となり、家に引きこもってばかりではもったいないと考えるようになってきた。

それは夫婦の間で共通の課題として認識されるようになり、ある日、妻が池袋で用事があると言うので、それならばその用が終わった夕方から秩父へ行こうということになった。

 

池袋からは西武が特急を走らせている。

おなじみのレッドアロー号であるが、ここにきて世代交代となりLaviewという新型に置き換わりつつあった。

そのLaviewというのに私は乗ったことが無く、また車内もキレイであるからそこは妻も喜ぶだろうと考えこれに乗ることにした。

 

事前に経路検索をしてみると、秩父まで行くとそのまま折り返して池袋に戻るか、秩父鉄道で熊谷まで出てそこからJRで都内へ帰るかになる。そして両者とも帰宅時間は相当遅くなることがわかった。

そこで、飯能まで特急で行き、そこから東飯能まで進み、JRに乗って八王子まで出て特急に乗るルートを採ることにした。

 

当日、ジムへ行って汗を流したあと、支度をして池袋へ向かった。着いてすぐに西武の窓口へ行き、夕方のLaview特急券を手配してもらった。横並びの座席は一つしか空いておらず、間一髪だ。

その後はやることがないので西武の屋上へ行き、かるかやのうどんを食べ、そして妻と合流したあとやはりやることがないので西武の屋上へ行き、かるやかのうどんの二杯目を食べた。

 

 

しばらく時間を潰して特急の乗り場へ向かうと、以前はあった特急券の自動改札機は無くなっていて、誰でも自由に入れるようになっていた。

温かい紙コップのコーヒーを買おうと探していたが、ホームには無かったので、改札だった入り口から出て向かいのコーヒーでテイクアウトして再びホームに戻った。

 

列車の到着が近くなると、人もだんだんと増えてくる。

気づけば目の前に小さな男の子を二人連れたお母さんが立っていた。子供はとても興奮していて、控えめに言って騒がしかった。私の目の前をウロウロしてしばらくすると、「号車入り口」の列に陣取った。そこは、私達の乗る車両と同じだった。

かつてこの西武線を利用して通勤していた頃、特急といえば残業の疲労で体の具合が悪くなったときに乗るものだったから、この騒がしい子供が同じ車両に居合わせるのかと思うと、何故かかつての利用シーンが結合して憂鬱になった。10連休だから残業などしていないのに。

 

列車がホームに入線してくる。子供はとても騒いでいた。そうだろう、おじさんも興奮している、私の分まで喜んでほしい、お母さん、早く写真撮ってあげてLaviewもう来ちゃうと心の中で呟いた。

Laviewが到着して、たくさんの人が降りていって、誰もいなくなった車内で椅子が自動で回転している。

グルっと飯能方面にすべての椅子が向くと、座席の一つだけ、頭を預けるヘッドレストが無くなっている。

 

乗務員が車両を行き来し、清掃員が車両を行き来している。妻はまだ乗れないのかと訊いてきた。忘れていたのだが、西武の特急は発車直前まで乗れなかったことを今更思い出した。

「急いで来なくても良かったのに」

そう妻がつぶやくと、間もなく車両のドアが開いて搭乗が始まった。ヘッドレストは無くなったままだった。

 

Laviewの車内は椅子も壁も黄色に統一されていて、まるで華僑の成金が「風水のおかげでここまでになれた」と案内してくれそうなくらい明るい雰囲気だった。

あの疲れて具合が悪くなったときだけ乗る灰色で冷たい病院の照明みたいな蛍光灯が灯る車両とはまるで違うものだった。

 

座席に腰掛け、背もたれを倒したりテーブルを出してみたりコンセントを探してみたりするうち列車は走り始めた。

列車は地上をややゆっくりした速さで各停しか止まらない駅を通過し、やがて複々線区間に入る。

 

速度を上げてもモーターの音は唸らず、静かなままなことに驚いた。

雨が車体や窓に当たる音が聞こえて来るのだが、さぞ豪雨なのだろうと窓の外を見ても、ちょっとした通り雨くらいしか降っていないという具合である。

 

かつて西武の特急レッドアローは、山岳に対応するような高性能な通勤電車と同じ足回りを使っていて、おまけに通路には台車メンテナンス用のハッチがあった。そこからモーターや車輪の音が筒抜けになるのである。それが90年代になると新しいレッドアローが登場することになるのだが、車体が灰色で冷たくなっただけで、台車は何も変わらなかった(本当に再利用だった)。ただ疲れて具合が悪いときに着座するためだけの特急であり、笑顔で楽しく秩父へ旅行しようなどという気分には到底なれないネズミ色の特急だった。

 

それが今、明るい車内ではカーペットが敷かれていて、雨が当たる音が大きく感じられるほど、静かに走っている。

おまけに池袋の駅のホームで騒いでいた小さい子供の声もしない。あまりに静かな車内の雰囲気に圧倒されたのか、大人しくなってしまったらしい。

 

騒音が大きければ話し声も大きくなるし、ヘッドホンの音量も大きくなるし、弁当や菓子の入った袋もガサガサさせる。騒がしい工場を思い浮かべると容易く想像できる。「おーい!おーい!!スパナァー、スパナ持ってこーい!!」

それが、あまりに静かな車内では喋る声すら目立ってしまうためか、皆、音が大きくならないようにしているようであった。座席の後ろに座っている小さな子どもを連れたお父さんも、声を抑えて子供に喋りかけていた。

 

大人も子供も、静かな環境に飲み込まれていることは、私の想像上の結論ではないと思われる。

なぜなら途中駅で停車した際、後ろにいた子供は本来の声量でダダを捏ねたまま、親に連れられて下車していたからだ。

わかる、私だってすぐには降りたくない。秩父までチケットを取っておくべきだったと後悔していたのだ。

 

現代では、"生きづらい人"が些細なことに敏感になっているかのように語られるが、技術の進歩によって騒音が無くなってきているという側面もあるのではないだろうか。

技術が進みきって一切のノイズがない澄み切った環境が出来上がったとき、私達は生物としてどのような顛末を迎えるのだろうか。

 

飯能へ着いてしまった。

 

外へ出ると都心とは明らかに違って肌寒い。

ここから秩父行きの各駅停車に乗り換えて、一駅先の東飯能で降りた。

八高線の出発時刻まで時間があるので、券売機で八王子からの特急券を買い、ここで待つのも肌寒いというので丸広にある丸善の書店へ向かった。

休日の夕方にしてはフロアが閑散としすぎており、商売が成り立っているのかわからないくらいだ。だが何年か前にきたときも同じようなことを思った気がしたので、きっと成り立っているんだろう。

 

こうぺんちゃんの絵本があるというのでしばらくそこで過ごしていると、時計は出発の2分前だった。気付けてえらい。エレベーターで降りてどうにか八王子行きの列車には間に合った。

りんかい線のお下がり車両に乗って、峠を超え、茶畑と、米軍基地を横切り、そして陽はすっかり沈んで外は真っ暗になった。

単線なので途中駅で停車し、そのたびに総武線のお下がり車両が向かいのホームで待っている。

 

八王子からは新しくないほうの特急車両に乗り込んだ。席に座ってすぐにlaviewに乗って食べるはずだった2割引の柿の葉寿司を開封する。あまりの静けさに圧倒されて飲食出来なかったのだ。

柿の葉は6つのブロックに分かれ、3種類の具が入っている。一つ一つ端から取って食べていくと、オレンジ色の鮭、白の鯛、最後はオレンジと白のエビが入ってた。

どれが美味しかったか。鮭も美味しかった、エビも美味しかった、鯛は満場一致で最下位だった。エビサケタイと話すと、次回からはエビの入ってないものを選ぶと言う。句読点を入れ直して、エビ、鮭、鯛の順だと言い直した。すると、自分はエビ、鮭、じゃがりこ、鯛の順だと言う。それならば、エビ、鮭、じゃがりこ、ワッフル、鯛の順だと言った。とうとう、エビ、鮭、じゃがりこ、ワッフル、ドデカミン、鯛の順だとなった。こうして鯛の価値は暴落した。

 

特急は終着駅に到着し、GWの小さな旅は終わった。

 

駅を降りてすぐのバーガーキングに立ち寄り、チキンナゲットとアップルパイ、コーヒーを2つ注文した。

来るのが遅かったのか、アップルパイは10分掛かるという。席に座ってチキンナゲットを分け合い、コーヒーを飲み、調理したての熱いアップルパイを一人で頬張ったことを咎められ、またバーガーキングに来ることを約束した。